上杉憲英

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上杉憲英(うえすぎのりふさ 生年不詳-14041年没)は、南北朝・室町時代前期の武将である。
武蔵国幡羅郡庁鼻和(こばなわ)(現在の深谷市国済寺)に庁鼻和城を築城し、庁鼻和上杉氏深谷上杉氏)の祖となった。<ref>『埼玉県人物事典』(埼玉県立文書館編、1998)</ref> 上杉憲英が庁鼻和に住んだ時期は、正確にはわからないが、ほぼ1370年代の頃と推定されている<ref>『深谷上杉氏資料集』(p37)</ref>。 上杉憲英は、上杉憲顕(のりあき)の六男で、兵部少輔、蔵人大夫、陸奥守に補せられ、また上野守護職、奥州管領にもなった。
また深く仏道に帰依し、康応2年(1390)庁鼻和城内に、自ら開基となって国済寺を建て、高僧峻翁令山禅師を請じて開山とした<ref>『深谷市史』(p316)</ref>。

憲英の墓は国済寺伽藍の西北に現存する(埼玉県指定史跡)。
室町時代の典型的な宝筐印塔で高さ1.70m、塔身に胎蔵界四仏、基礎には四方仏の種子を共に月輪中に彫ってある<ref>『深谷市史』(p316)</ref>。

脚注

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