伊奈利神社

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伊奈利神社は、深谷市山河の神社。

所在地
埼玉県深谷市山河1032社務所

由緒と沿革

上伊奈利塚、下伊奈利塚
 当社は昔、村の西南部にあった茶臼山に鎮座していた。茶臼山には、上伊奈利塚、下伊奈利塚という二つの塚があり、それぞれ塚の上に石宮がまつられてあった。上伊奈利塚の西の丘陵を稲取山(または石原山)といい、伊奈利神社は稲取山の東の麓の塚の近くにあった。上伊奈利塚の西には鎌倉街道(今の県道)がある。

 むかし 戦に敗れた武将が、この地まで逃げ延びて討ち死にした。伴の一族は、武将を埋葬し、西の稲取山の(古祠の)土を運んで塚を築き、塚の傍らで殉死したという。その後、武将の妻が弔いに訪れ、そののち、塚の東北約八町の地(森下)に光寂庵という庵を営み、武将と一族の霊を供養したという。森下の北の地を今も光寂庵という。
 また永禄四年(1561)、上杉謙信が小田原を攻めようとしたとき、これを知った北条氏康は、配下の藤原某という侍を遣わして謙信を刺さんとしたが、藤原某は、逆に謙信の軍に捕えられてしまった。ところが謙信は、なかなか勇敢な奴だと誉め、逃がしてやったのだが、某は、恥しくて小田原へ帰ることもできない。流浪を続けて山河の地に至り、上伊奈利塚の祠で休息をとると、長旅の疲れが出て眠り込んでしまった。夢に塚の霊が現われ、「汝、もしこの所にとどまって我が霊を祭らば、子孫必ず栄達せん」という声が聞えた。この神託により、藤原某はこの地に土着した。
 その後、某は信心のあまり村の中央に仮宮を建てた。以来、村人は仮宮にばかり参詣し、本の宮に参詣するものがだんだん減ってきた。神託を問うと、「村の鬼門の方位に在って氏子を守護す」とのお告げがあったので、現在の森下の地に所を定めて正式に遷座されたという。
 塚のあった茶臼山の地は、明治32年に開墾されて今は畑になっている。二つの石宮も開墾のときに当社境内に移転された。このとき塚から、さまざまの古器物が発掘された。
 下伊奈利塚より発見  斎部土器、土焼馬、土焼管玉、黒曜石鏃、
 上伊奈利塚より発見  古刀、埴輪土偶、朝鮮土器、埴輪筒、銕製鏃、打製棍棒
 上伊奈利塚の石宮の前に、深さ三尺の長方形の穴の跡があった。当時の持主の友次郎という者が、「鏘鏘山」という伝説を知り、ここを掘ったのである。友次郎は、石棺の中から鎧兜や鐙、乗鞍などの武具を取り出したが、間もなく発狂した。掘り出したものすべてを長養寺に奉納して詫びると、病気はたちどころに消えたという。
 石棺の蓋だった三枚の平石は、庚申塔に作り変えられて村内にある。一つは長養寺山門入口の傍(元文元年(1736))、一つは伊奈利大神社の東方(寛政八年(1796))、一つは神社東北方である。塚は明治35年に帝国大学 坪井博士の鑑定により、千八百年前のものと判明した。

祭神
倉稲魂命 (うかのみたまのみこと)

社殿と工作物

祭礼

1月 1日
歳旦祭
4月 9日
祈年祭 通称/春祭

:(末社)蚕影山神社,護国神社例祭

4月10日
(末社)護国神社,末社祭

:(末社)二柱神社,末社祭

7月24日
大祓
7月25日
(末社)八坂神社,祇園祭 通称/夏祭
10月14日
例大祭 神楽
11月26日
新嘗祭
12月24日
大祓

主な境内神社

八坂神社
(祭神)素盞嗚命
護国神社
(祭神)護国の英霊
二柱神社
(祭神)伊弉諾尊 伊弉冉尊
蚕影山神社
(祭神)稚産神