国済寺

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国済寺は、深谷市国済寺にある寺院である。

国済寺本堂

概要[編集]

住所
深谷市国済寺521-1
山号
常興山
寺号
国済寺
本尊
釈迦如来像
宗派
臨済宗南禅寺派

歴史[編集]

明徳元年(1390)、深谷上杉氏の祖である上杉憲英(うえすぎのりふさ)が開基となり、峻翁令山禅師(秩父郡生まれ。寂後に勅号(天皇よりの法名命名)法光円明国師を賜った高僧)を招請して開山とした寺院である。神仏への崇敬が深い憲英が、庁鼻和城(こばなわじょう)内に一禅宗を建立したのが始まりである。
国済寺とは、「安国済民」(国を安んじ、民を済度する。言い換えれば、仏の力により迷い苦しむ人々を救い悟りに導くこと)を意図して創建された。
天正18年(1590)深谷城が開城後、寺は衰退の一途をたどり、さらに再度の火災や明治の上地等で往時の面目は失われたが<ref>『深谷市の神社と寺』(深谷上杉・郷土史研究会編 平成23年)</ref>、今でも国済寺の寺域には、その当時の館の外郭とおぼしき土手(壘(るい))が残っている<ref>『深谷市史』(p316)</ref>。

『新編武蔵風土記稿』の記述[編集]

(国済寺村)国済寺
禅宗臨済派、京都南禅寺末、常興山と号す。寺領三十石の御朱印は、天正十九年附せらる。相傳ふ当寺は、深谷城主上杉憲英康応二年開建し、峻翁令山禅師を請して始祖とせり。此僧は秩父郡の人なり。応永十五年三月六日化し勅して法光円明禅師と謚す。事蹟は「本朝高祖傳」「扶桑禅林続僧実傳」等にも出、又多摩郡山田村高園寺(註:兜率山廣園寺)の條にも載たり。「高僧傳」には開基上杉憲英を房に書し、廣園寺を院に作るは誤なり。憲英の法名卒年は墳墓の條に出せり。かかる佛刹なれど中古回禄にかかり、古記什宝ことごとく烏有となり。本堂さへ今に再興に及ばず。本尊釈迦を安ぜり。
稲荷社。山王荒神合社。鐘楼。これもいまだ再建ならず。銘文中に康応二年上杉憲英新建の時、共に鋳し鐘なりしが寛文十一年再鋳せしことを彫れり。楼門。楼上に中古まで、十六羅漢を安ぜしが、像は今廃せり。表門、裏門。下馬札二ヵ所。各前の門外に建つ。
上杉憲英墓。本堂の西にて角の五輪なり。国済寺殿大宗常興大居士、応永十一年甲申八月二日と彫れり。当寺号・山号はこの法謚の字を用ひしものなり。榛澤郡人見村昌福寺に蔵する上杉家譜によるに、憲英始は蔵人其後兵部少輔、又蔵人大夫と称し、後奥州の管領となり、陸奥守と号すと云。上杉憲房の嫡民部大輔憲顕の六男、憲英深谷の祖と見え、其余は傳へに同じければ略す。塔頭。三光庵、密牧庵、雲龍庵、自勝院、徳勝院。以上元境内にありしが、後年廃して未だ再建ならず。<ref>『新編武蔵風土記稿』</ref>

文化財[編集]

国済寺は、総門、三門、本堂が直線的に配置された禅宗伽藍で、江戸時代中期の簡素な美しい建物である。

  • 木造峻翁令山禅師像(埼玉県指定文化財)
  • 上杉憲英墓(埼玉県指定旧跡)
  • 国済寺黒門(深谷市指定文化財)

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  • 国済寺三門(深谷市指定文化財)

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  • 法燈円明国師頂相(深谷市指定文化財)
  • 宝冠釈迦座像(深谷市指定文化財)
  • 膳及び椀(深谷市指定文化財)
  • 庁鼻和城跡(深谷市指定文化財)
  • 上杉氏歴代墓(深谷市指定文化財)

出典[編集]

<references/>

外部リンク[編集]

国済寺 公式サイト