大寄八幡大神社

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大寄八幡大神社は、深谷市(旧岡部町)榛沢(はんざわ)の神社。

所在地
埼玉県深谷市榛沢1246-2

由緒と沿革

 むかし身馴川の上流の十丈淵には、大蛇が棲みついて近隣の民を悩まし、田畑を荒らされて他村へ移住する者も多かった。たまたま征夷大将軍 坂上田村麻呂が、蝦夷を平定して凱旋の帰途に当地に立ち寄られたので、村人らは将軍に訴えて、十丈淵の大蛇の退治を請願した。将軍はさっそく身馴川の北岸に進み、激流の中を船に乗ったが、流されて船の着いた場所を「船附」という。ここに稲荷祠を祀り「船附稲荷」という。そこから三町ほど進み、広い芝生の地に出たとき、将軍は、日本武尊(やまとたけるのみこと)と誉田別命(ほむだわけのみこと)の二神に大蛇退治の加護を祈った。そして十丈淵に到り、難なく大蛇を退治した。将軍は二神に祈った場所に戻り、祠を建てて剣を納め、日本武尊、誉田別命、吉備武彦を祀った。これを「こだまの宮」という。また祠の西北に柊を植えて神木とした。
 また榛沢六郎成清は、児玉之宮を尊崇し、建久二年(1191)に京都の名工に日本武尊と応神天皇の御像を作らせ、内殿に奉安した。成清のある夜の夢に、御霊宮の社殿から白鳥が一羽飛び去るのを見た。不思議に思って宮へ詣で、内殿を開き見ると、日本武尊の御像がなかった。これは古書に見える日本武尊の白鳥御陵の例と納得し、そのままとしたという。したがって今は誉田別命の御尊像だけがある。旧称を「御霊宮」といった。
 明治九年七月、村社申立当時、調査不完全の為、鎌倉権五郎景政を祭神と届けたが、前述の通り内殿には誉田別命像だけで、景政の像は未だ曾て見たものなく、のちに祭神は誉田別命と正された。(大里郡神社誌)
 (補足)柳田國男によれば「御霊宮(ごりょうのみや)」の名で祀られる社は、坂道を登り切ったところに大樹の霊を祀った例が多いという。「ごりょう=五郎」は後世の付会。

祭神
誉田別命 (ほむだわけのみこと)

社殿と工作物

祭礼

1月 3日
元始祭
2月11日
建国祭
4月第1日曜日
(末社)船附稲荷神社,舟附稲荷神社祭
4月10日
祈年祭 通称/春祭 神楽
7月27日近い日曜日
(末社)八坂神社,八坂祭り 通称/祇園祭 (神輿渡御)
7月31日
大祓 通称/お姿流し
9月第1日曜日
社日祭 通称/佐類田様
10月18日
秋祭り 通称/お日待 神楽
11月24日
新嘗祭
12月19日
(末社)天手長男神社,お手長神社祭 通称/お手長様
12月30日
大祓 通称/お姿流し

主な境内神社

八坂神社
(祭神)素盞嗚尊
天手長男神社
(祭神)天手力男命
船附稲荷神社
(祭神)保食命
佐類田彦神社
(祭神)佐類田彦大神