渋沢千代

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渋沢千代(1841~1882)は、渋沢栄一の最初の妻。

生い立ち[編集]

父は尾高勝五郎、母やへは「東の家」(ひがしんち)2代目渋沢宗助(政徳)の女。兄に尾高惇忠尾高長七郎、姉にみち(大川脩三に嫁ぎ平三郎を生む)、弟に尾高平九郎らがいる。

渋沢栄一との結婚[編集]

安政5年(1858)12月、渋沢栄一に嫁ぎ、市太郎(早世)、歌子、琴子、糸子(早世)、篤二の2男3女をもうけた。

文久3年(1863)11月に栄一が郷里を出奔して以後、明治元年(1868)11月ヨーロッパから帰国し、翌年1月静岡に商法会所を設立するまでの間、よくその家庭を守った。この間、栄一はしばしば千代宛に手紙を出しており、

  • 「相わかれ候よりは一度も婦人くるい等も致さず全くくにの事のみしんぱいいたしおり申し候あいだ…」(元治1.10.5)
  • 「此方には更にわすれ申し候日これなく候あいだ、おまえ様にも御みさお御つのりなされ候ようたのみあげ申し候…」(慶応3.1.9)
  • 「かねてこなた心は承知の通りにて、たとえ十年が二十年とても相かわりなき赤心、ただただ憐れむべきはそなた事に候えども・・・」(慶応3.5.15)
  • 「その節まではよくよく貞操御守りなされたく頼み入り候」(慶応4.3.30)

等々、千代の心変わりを恐れ、そうしたことのなきようにと懇願している。

晩年[編集]

気丈で内助の功ある千代であったが、明治15年(1882)当時流行のコレラに罹り、7月14日、飛鳥山の自邸で、享年42歳で亡くなった。