岡部六弥太忠澄

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岡部六弥太忠澄(おかべろくやたただずみ)は、平安時代末期から鎌倉時代にかけての武将、御家人。一ノ谷の合戦のとき、平忠度(たいらのただのり)を討ち取った場面が『平家物語』に登場することで有名である。


出自[編集]

岡部六弥太忠澄は猪俣党の出身で、猪俣野兵衛時範の孫、六太夫忠綱(ろくだゆうただつな)が岡部の地に館(やかた)を構えたのを機に岡部氏と称するようになった。忠澄は、忠綱から数え三代目にあたり、治承・寿永の乱(1180~1185)の際には、源氏方につき西国にも出兵している。


墓所[編集]

墓は、普済寺地区の一角にあり、残りの良い五輪塔が3基並んでいる。このうち最も大きいものが六弥太のものとされている。六弥太の墓石を煎じて飲むと子宝に恵まれるという伝承があり、このため五輪塔が一部削られ変形している。岡部六弥太墓は埼玉県指定史跡。

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平忠度の供養塔[編集]

清心寺境内に、岡部六弥太忠澄が平忠度の菩提を弔うために建てたといわれる供養塔がある。


深次郎の「深谷の史跡めぐり」[編集]

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