文化財

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現在、深谷市内には、国指定等の文化財として、3件の重要文化財及び13件の登録有形文化財がある<ref>深谷市ホームページ「深谷市の歴史と文化財」より抜粋</ref>。

重要文化財

重要文化財とは、文化財保護法の規定により、建造物、絵画等の有形の文化的所産で我が国にとって歴史上又は芸術上価値の高いもの及び考古資料等の学術上価値の高い歴史資料(有形文化財)のうち重要なものを文部科学大臣が指定したものである。

緑釉手附瓶 附 灰釉瓶

榛沢地区の西浦北遺跡4号住居跡から出土した緑釉手付瓶は、並んで発見された灰釉瓶とともに昭和61年度に重要文化財に指定された。緑釉手付瓶とは、窯入れされ、熱を受けると緑色に変化する釉薬が塗られた焼物で、把手が付いていることが大きな特徴と言える。完形品としては全国的にみても数少ない例である。緑釉手付瓶の製作地は、古代の窯跡として名高い尾張国猿投窯(愛知県名古屋市)であり、製作された年代は、9世紀後半と考えられる。東京国立博物館(平成館)に貸し出されている。

日本煉瓦製造株式会社 旧煉瓦製造施設

平成9年に重要文化財に指定された日本煉瓦製造株式会社 旧煉瓦製造施設は、旧事務所(日本煉瓦史料館)、ホフマン輪窯6号窯、旧変電室、備前渠鉄橋の4つからなっている。県内の重要文化財建造物としては21件目。近代化遺産の重要文化財としては、全国で5件目、県内では初めての指定である。 煉瓦焼成のための優れた構造を有したホフマン輪窯を中心として、工場の周辺建造物及び日本最初の専用鉄道施設がそろって残っている。この工場で作られた煉瓦は、東京駅を始めとする東京の主要な建築に用いられたことがわかっており、本施設は、我が国の近代化の礎をなした施設として重要である。とくに6号窯は、現在国内に残る数少ないホフマン輪窯のうちで最も規模が大きく代表的なものとして価値が認められる。

旧事務所(日本煉瓦史料館)

旧事務所は、明治21年頃に建設、「異人館」と呼ばれていたように、ドイツ人技師ナスチェンテス・チーゼとその令嬢が明治22 年にドイツに帰国するまで住宅兼事務所として使用していた。帰国後は会社の事務所、昭和53年からは史料館として活用。簡素なデザインを備えており、明治初期の洋風建築の特色がよく表れている。昭和37年深谷市指定文化財、同55年埼玉県指定有形文化財の指定を経た。

ホフマン輪窯6号窯(ほふまんわがま6ごうがま)

ホフマン輪窯6号窯は、ドイツ人ホフマン考案の煉瓦焼成窯で、明治40年に建設、昭和43年に操業を停止した。長さ56.5m、幅20m、高さ3.3mの小判形の平面を持つ。その全体は、18の焼成室に分かれ、各部屋の内法は、長さ約6m、幅4m、最も高い天井高2.6mである。月産生産高65万個の煉瓦が生産されたという。東京駅や赤坂離宮(現迎賓館)などの赤レンガもここで作られた。昭和53年深谷市指定文化財、同55年埼玉県指定有形文化財の指定を経た。

旧変電室(きゅうへんでんしつ)

旧変電室は、明治末の電灯線の架設時に建設。屋根や窓等多少の改修はあったものの建設時とほとんど変わらない姿のまま保存されている。

備前渠鉄橋(びぜんきょてっきょう)

備前渠鉄橋は、明治28年に日本煉瓦専用線が備前渠を通るために架設された鉄橋である。橋の南側には、鉄橋の西側近傍で備前渠から分岐する水路を越えるための煉瓦アーチ橋が附属する。昭和58年に深谷市に寄附され、現在は遊歩道となりレールが取り払われる等しているものの、往時の姿をよくとどめている。

誠之堂(せいしどう)

平成15年に重要文化財に指定された誠之堂は、大正5年(1916)、渋沢栄一の喜寿(77歳)を祝って第一銀行の行員たちの出資により建築された。渋沢栄一は、深谷市に生まれ、株式会社組織による企業の創設・育成に力を入れ、日本の近代経済社会の基礎を築いた。その拠点としたのが第一国立銀行で、明治29年、同行は第一銀行となり、栄一は、その初代頭取を務めた。栄一は、喜寿を迎えるのを機に、第一銀行頭取を辞任したが、同行の行員たちが出資を募って誠之堂を建築したことには、栄一が行員たちから深く敬愛されていたことが伺われる。当初、東京都世田谷区にあった第一銀行の保養・スポーツ施設「清和園」内に建てられたものを深谷市に移築したものである。煉瓦造建物の解体移築は当時ほとんど例がなく、最高水準の技術を駆使し、部材として切断して移築するという画期的な方法で行われた。

誠之堂は、東に面するベランダ付きの「大広間」を中心に、南に「次の間」と「化粧所」を配し、西に「玄関」と「和室」を突き出させたL字型の平面をしている。屋根は、天然スレート葺で、「大広間」部及び「玄関」部を切妻、「次の間」部を半寄棟としており、屋根窓や煉瓦造煙突、「臭突」(換気塔)と相まって変化のある意匠となっている。外壁は、色調の異なる3種類の煉瓦を巧みに積んで壁面を飾っている。また、暖炉の背後にあたる外壁(煙突基部の外壁)には「喜寿」の文字を表した装飾積が見られる。内部は、大広間正面に渋沢のレリーフを付した暖炉が配置され、その両側の窓には、中国漢代の祝宴を表した図案のステンドグラスが組み込まれている。


「西洋風の建築で、田舎の家らしく」という注文を基調としながらも、大正建築の名手といわれた田辺の自由な発想により、日本や朝鮮風の要素を取り入れてまとめられられている。小規模ながら意匠性に優れた建造物である。誠之堂には、日本煉瓦製造株式会社で製造された煉瓦が用いられており、郷土ゆかりの歴史的遺産としても極めて重要な存在である。

登録有形文化財(建造物)

登録有形文化財とは、文化財保護法の規定により、文部科学大臣が、重要文化財以外の有形文化財で、その文化財としての価値にかんがみ保存及び活用のための措置が特に必要とされるものとして登録したものである。

埼玉県立深谷商業高等学校記念館

深谷商業高等学校記念館は最初の県立商業学校の校舎として大正11年に建てられた。大正期洋風建築の特色をよく表わした木造学校建築である。木造2階建、瓦葺、建築面積608平方メートル、塔屋付。間口54メートル。

旧東京第二陸軍造兵廠深谷製造所給水塔

旧東京第二陸軍造兵廠深谷製造所給水塔は昭和19年頃建設された。RC造のラーメン構造が現れた特異な外観を持っている。

大谷家住宅主屋 ほか8件

大谷家住宅(大谷邸は、主屋、洋館、本蔵、松庭湯、祠、中門及び塀、裏門及び塀、欅空庵、米蔵の9件。昭和初期のお助け普請として多くの地元の職人によって建てられた。設計は、魚住儀一による。主屋は、質の高い数寄屋風建物で、高度で精緻な技量が発揮されている。洋館は、主屋南面に接続するユーゲント・シュティルのスタイルでまとめられている。

滝岡橋

滝岡橋は、旧中山道上で深谷市と本庄市の境にかかる道路橋。橋長147m、幅員7.0mのプレートガーダーを用いる鋼製8連桁橋で、昭和3年にかけられました。高欄および親柱には花崗岩が、橋台にはイギリス積みの煉瓦が使用され、丁寧な造りになっています。

日本基督教団島村教会島村めぐみ保育園別館

日本基督教団島村教会島村めぐみ保育園別館は、昭和28年に建てられた建物です。交差点をはさんだ北西側には本館(群馬県伊勢崎市 同じく登録有形文化財)が建っており、地域の景観的シンボルとなっています。


脚注

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