杉田因幡

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杉田因幡(すぎたいなば)は、戦国時代の武将で、深谷城上杉氏憲の重臣。幼少より深谷上杉氏につかえ、幼名を中村拾左衛門と名乗った。
元亀3年(1572)1月2日、岡部で主君の上杉憲盛にさからった矢野左馬尉を討ち、手柄として上野台村に永拾五貫文の土地を拝領し、以後、杉田因幡と名乗った。
戦功により重臣となり、元和年間に没し、西運寺に葬られた。

天正18年(1590)、豊臣秀吉の小田原征伐のときに深谷城主上杉氏憲は、豊臣軍に対するため小田原城に籠もっていたため、杉田因幡は秋元長朝(あきもとながとも)とともに留守を守った。同年5月、前田利家・浅野長政が深谷城攻略のため本庄・岡部に布陣した。長朝らは和睦することを決定し、杉田因幡を軍使に立て、深谷城の明け渡し、深谷を戦火から救った<ref>『深谷市の史跡案内』(深谷上杉・郷土史研究会 平成23年)</ref>。

西運寺に杉田因幡の墓がある(深谷市指定史跡)。

出典[編集]

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