深谷城跡

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深谷城跡[編集]

深谷城は、山内上杉氏の支流である深谷上杉氏が、古河公方と対抗するために築いた要害といわれる。
深谷城跡は、妻沼低地末端部に立地する。標高は約35mである。
城域は、古地図や地割りから、東西約500m、南北600m、の範囲に広がり、面積は約19.8haと推定される。
その形状が木瓜(ぼけ)の花、あるいは実の断面に似ていることから、「木瓜城」と称されたとも伝えられる。
城跡地の大部分は、現状では市街化が進んでいるが、主郭と推定される大部分は深谷小学校の校庭下に遺存しているものとみられる<ref name="fukaya69">『埼玉県深谷市埋蔵文化財発掘調査報告書 第69集 深谷城跡』(深谷市教育委員会 平成16年)</ref>。
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▲深谷城跡推定図<ref name="fukaya69"/>

絵図資料[編集]

深谷城は近世初頭には取り壊されたため、正確な絵図資料は皆無である。寛政年間に編まれた『武蔵志』所載の「深谷古城図」や、検知年代別に色分けされた「深谷城址絵図」が残されているに過ぎず、また早くから耕地整理や市街化の進んだ地域には、城の痕跡はほとんど残されていないため、不明な点の多い城である<ref>青木克尚・永井智教著「深谷城跡」 『戦国の城』(埼玉県立歴史資料館、2005)所収</ref>。

発掘調査[編集]

深谷城跡に初めて発掘調査のメスが入ったのは、昭和61年の夏である。市道建設の事前調査として深谷市教育委員会が実施したもので、2012年現在第1~11次調査まで行われている。

  • 主郭南辺と外堀南辺と推定される二条の大規模な堀や、その間の曲輪から井戸や多数の柱穴が検出された(1次調査)。
  • 城の東側外堀の整備として立ち会い的な調査も行われているが、本格的な発掘調査には至っていない(2次調査)。
  • 本丸推定地の北側で、市立図書館建設の事前調査として3次調査が行われた。この調査では主郭の南北長が判明した(昭和63年)。
  • 4次調査では、城の北半分で分譲住宅建設の事前調査が行われ、現水田下から初めて障子堀が発見された(平成6年)。
  • 公園建設の事前調査(第5次、平成7年)

出典[編集]

<references/>

関連項目[編集]

外部リンク[編集]