深谷城

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深谷城(ふかやじょう)はJR深谷駅より北へ約920m、現在の深谷小学校および深谷城址公園付近に、戦国時代から江戸時代にあった平城(ひらじろ)<ref>日本の城郭を地形によって分類すると、(イ)平城、(ロ)平山城、(ハ)山城(丘城、平城式山城、繞郭式山城)の3つに分けることが出来る。深谷城はこの中の平城であって平地に築造されたものであった。</ref>である。深谷城跡は埼玉県の旧跡に指定されている。

築城[編集]

康正2年(1456)、上杉房憲(うえすぎふさのり)が古河公方(こがくぼう)の侵攻に備えて、深谷城を築いた<ref>戦国期に成立したとみられる『鎌倉大草紙』による(「深谷城跡」(『戦国の城』所収))</ref>。
その後、房憲(ふさのり)、憲清(のりきよ)、憲賢(のりかた)、憲盛(のりもり)、氏憲(うじのり)の5代が深谷城に住んだので、総称して「深谷上杉氏」と呼ばれる。
これに対して、それ以前に、深谷上杉氏の祖である上杉憲英(うえすぎのりふさ)、憲光(のりみつ)、憲信の3人は、国済寺にあった庁鼻和城(こばなわじょう)を館としていたことから、「庁鼻和上杉氏」と呼ばれる。
深谷城が築かれたのは、川越城、岩槻城、江戸城が築かれる前年である、武蔵国内で一番早かった。これは深谷が戦略的な要地であったためである。
当時、上杉氏は古河公方と対立していた。古河公方はたびたび深谷の陣営を襲おうとしたが、康正元年(1455)岡部原の合戦においてついに利根川を渡って岡部原に出陣し、上杉勢に戦いを挑んだが、両軍激戦のすえに勝敗は決しなかった。
上杉憲信の子、5代目房憲の時に、古河公方勢力との戦闘に備え、それまでの居城であった庁鼻和城から、より堅固な深谷城に移ったとされる。
以降、深谷城は、山内・扇谷両上杉氏の抗争と山内上杉氏の没落、北条氏康・氏政と上杉謙信・武田信玄の戦いなどの動乱期を経て北条氏の傘下となり、豊臣秀吉の小田原攻めが始まると前田利家と浅野長政の軍に降る<ref>青木克尚・永井智教著「深谷城跡」 『戦国の城』(埼玉県立歴史資料館、2005)所収</ref>。

開城[編集]

天正18年(1590)、豊臣秀吉の小田原征伐よって深谷城は開城した。
時の城主上杉氏憲は、豊臣軍に対するため小田原城に籠もっていた。その留守を預かっていたのが、深谷城の重臣秋元長朝(あきもとながとも)と杉田因幡(すぎたいなば)で、2人は前田利家・浅野長政の大軍による総攻撃に対し、和睦を結んで無血開城を成し遂げ、深谷を戦火から救った<ref>『深谷上杉氏資料集』(深谷上杉顕彰会 平成8年 p223)</ref>。

開城後[編集]

開城後は、徳川家康の関東入国により、松平康直、家康の七男松平松千代、兄の六男松平忠輝が居城した。慶長15年(1610)に松平忠重が入封した。忠重の上総国佐貫へ移封後は、酒井忠勝 (若狭国小浜藩主)が1万石で入封した。

廃城[編集]

寛永4年(1627)、酒井忠勝が川越城へ移封され、寛永11年(1634)に廃城となった。つまり深谷城は、激動の戦国時代を中心に約170年間存在したことになる。

その後[編集]

その後の深谷城は、寛永20年(1644)に取り壊しが、元禄5年(1692)には開墾が許される。
主要街道である中山道からも外れた城跡一帯は、少なくとも明治年間までは江戸時代から以来田畑であったようだが、大正7年(1918)には深谷市立深谷小学校(旧深谷町立尋常高等小学校)がほぼ現在の位置に移転、終戦後の昭和28年(1953)には国道17号が開通して市街化が進行し、城跡の面影は街に覆われて消えた<ref>青木克尚・永井智教著「深谷城跡」 『戦国の城』(埼玉県立歴史資料館、2005)所収</ref>。

Fuukayajou mitorizu.jpg

▲深谷城想像図(埼玉県深谷市の城址(余湖くんのホームページ)より転載

『新編武蔵風土記稿』の記述[編集]

古城蹟
宿ノ北ノ方ニアリ。當宿ト田谷村ニカカレリ。今モ四方共土居構堀ノ跡残リ構ノ内皆陸田トナレリ。此城平城ニシテ南ヲ首トシ、北ヲ尾トス。南ニ大手口アリテ夫ヨリ西ヲ掃部曲輪ト唱へ、其西ヨリヲ西丸ト呼ビ、西丸ヨリ堀ヲ隔テ東ヲ二丸トイヒ、二丸ヨリ又掘ヲ隔テ東ニ本丸アリ。本丸ヨリ東ニ当リテ、ココモ堀ヲ隔テタリ。
本丸ノ北ハ則チ北曲輪ニテ北曲輪ノ内最北ヘヨリタル辺ヲ秋元越中曲輪ト唱フ。コハ上杉ノ家人秋元越中守長朝居シ所ナレバ呼名トストイヘリ。

城内の神社[編集]

城内には以下の5社があった。

  1. 智形神社
  2. 八幡神社
  3. 天神社
  4. 弁天社
  5. 天王社

現況[編集]

深谷城址公園[編集]

現在、深谷城跡の一部は深谷城址公園として整備されている。

遺構[編集]

遺構としては、隣接する智形神社(富士浅間神社)の周囲に外堀跡が残っている。
Fukayajou sotoboriato.jpg Fukayajou hori.jpeg


関連項目[編集]

脚注・出典[編集]

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外部リンク[編集]