深谷宿

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深谷宿は、中山道六十九次のうち江戸から数えて9番目の宿場である。 宿内は、東西にある2基の常夜灯(現在の稲荷町と田所町)にはさまれた約1.7kmの区間。

七ツ梅の母屋に飾られている刻書(石井長慶氏作)。七ツ梅の母屋に飾られている刻書(石井長慶氏作)。中山道の初代「見返りの松」(樹齢300年以上)を伐採したときの木を使用している。

『新編武蔵風土記稿』の記述[編集]

「深谷宿」の項に以下の記述がある(カタカナをひらがなに改め、句読点を加えた)。 「深谷宿は中山道の駅亭にして江戸より十九里を隔つ。東の方熊谷宿へ二里二十七町、西の方児玉郡本庄宿へ二里二十町の人馬継立をなせり。又毎月五十の日に市を立て諸品の交易をなす。当所は昔上杉氏の居城ありし時の城下町のままなれば郡中にての便宜の地なり。正保、元禄二度改の国図には深谷町と記す。宿と書来るは何(いずれ)の頃よりなるや詳(つまびらか)ならず。本郷の郷に属し藤田庄と唱ふ」 [新編武蔵風土記稿 Wikipedia]

深谷宿の人口[編集]

『深谷市史』(深谷市役所 昭和44年)によれば、『新編武蔵風土記稿』所載の戸数をもとに深谷宿の人口を以下のように推定している。


深谷宿の人口
宿村名 戸数 人口
深谷宿 470軒 2350人
村の人口
宿村名 戸数 人口
萱場村 25軒 125人
東大沼村 35軒 175人
曲田村 20軒 100人
西島村 30軒 150人
田谷村 17軒 85人
西大沼村 25軒 125人