深谷市

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深谷市(ふかやし)は、埼玉県北部に位置しており、東京都心から80km圏にある人口約15万人の市。深谷ねぎブロッコリートウモロコシに代表される全国ブランドの生鮮野菜や、白鳥の飛来地の荒川利根川などの恵まれた自然環境、誠之堂清風亭をはじめとするさまざまな文化遺産などを有している。

概要[編集]

平成18年1月1日、深谷市、岡部町、川本町、花園町が1つになり新深谷市が誕生した。

深谷エリア[編集]

古くは中山道の宿場町として栄え、日本煉瓦製造株式会社跡や誠之堂などの文化財も豊富。郷土の偉人「渋沢栄一」ゆかりの地で、東京駅を模した、煉瓦調の深谷駅舎など、個性的な建造物も見どころである。また、深谷市民文化会館ビッグタートルなど、文化・スポーツ施設が充実。産業では、深谷ねぎチューリップユリなどの全国有数の産地でもある。

岡部エリア[編集]

緑緑豊かな田園が広がる農業地帯で、ブロッコリートウモロコシの「味来」が特産品。伝統の地場産業は「お漬け物」。地域のシンボルは、一年を通じて利用客でにぎわう「道の駅おかべ」。秋の風物詩は、4kmにも及ぶコスモス街道で行われるにぎわいあふれる踊りと花火大会。また、史跡が多いことでも有名である。

川本エリア[編集]

冬、中央を流れる荒川に白鳥が飛来し、観賞できるスポットとして有名。夏は「ふるさと祭」。勇壮な重忠太鼓に、川面を滑るいかだ流し、大花火大会とイ ベント満載。サングリーンパークや農林公園などは、家族連れに好評である。歴史好きには、畠山重忠関連の史跡や出土文化財管理センターがお勧め。その他天体望遠鏡のあるもくせい館など見どころ多彩である。

花園エリア[編集]

関越自動車道花園インターチェンジがある深谷市の交通の要。エリア南部を流れる荒川は、鮎釣りや川遊びのできる親水の場。川沿いの水辺公園は、花とス ポーツのメッカです。西部の「鐘撞堂山ふるさとの森」は、山頂からの展望とホタルの谷津池が人気。北部の鎌倉街道沿いには、伝説の「お茶茶の井戸」がある。 複合施設である「道の駅はなぞの」は、観光客にも好評のスポットである。

合併前の行政区分

位置[編集]

市役所の位置は、東経139度17分05秒、北緯36度11分38秒、海抜36.63m。埼玉県庁から53.5kmの位置にある。

隣接市町村[編集]

東は熊谷市に、南は嵐山町、寄居町に、西は美里町、本庄市に、北は群馬県の伊勢崎市、太田市に接している。

深谷市の位置

地理[編集]

地形[編集]

深谷市の地形を概観すると、市のほぼ中央部に走るJR高崎線を境として、南側に櫛引(くしびき)台地が拡がり、北側には妻沼(めぬま)低地が形成されている。櫛引台地は荒川によって作られた古い扇状地が浸食されてできた沖積台地で、寄居付近を頂部としている。 妻沼低地は、利根川の自然堤防および沖積低地であり、加須低地と並び利根川の中流低地の1つに数えられる<ref>『埼玉県深谷市埋蔵文化財発掘調査報告書「深谷城址(第7次)」』(深谷市教育委員会,2004)</ref>。

標高差は市南西の鐘撞堂山から妻沼低地の利根川河川敷まで約300mある。
南に広がる櫛挽台地は荒川によって作られた古い扇状地が浸食されてできた沖積台地で、寄居町付近を頂部としている。
櫛挽台地は構造的には、ほぼ東通り線(県道深谷東松山線)あたりを境に、西側が櫛挽面(櫛挽段丘)、東側が寄居面(御稜威ヶ原段丘)と呼ばれる段丘状に形成されている。
櫛挽面は、寄居を頂上にして北東方向に三角形状に広がります。末端は高崎線に沿う形で終わります。台地面の平均勾配は5.5%であるが、末端10%以上の急勾配になっていることが特徴である。
末端に近い部分では、第三紀※の残丘である仙元山(標高98.0m)が、また市の南西端、寄居町との境には鐘撞堂山(標高330.2m)がそびえる。
御稜威ヶ原面は、櫛挽面を削剥してできた侵食段丘です。平均勾配は5%で櫛挽面よりやや緩くなっている。

市北部に広がる妻沼低地は、利根川右岸に広がる肥沃な低地です。この低地は東西に長く、南の櫛挽台地、北の伊勢崎の台地の間にあります。とくに南側の崖線は御稜威ヶ原段丘を切るもので、深谷断層とよばれている。
南東は熊谷市付近を境として、荒川低地に続き、東は加須低地に接している。
妻沼低地は現在ではほとんど平坦であるが、利根川の氾濫や流路の変遷等により、自然堤防や後背湿地が発達している。


地勢的には、利根川寄り、東は熊谷市別府沼から東方熊野神社原郷楡山神社という市内でも指折りの森を経て、深谷バイパスと並行に道の駅おかべからボートピアへと伸びる緩やかな段丘が、深谷市を地勢的に2分し、地震源として危惧されれている「深谷断層」が走っている。

地図-深谷市の地形のPDF

深谷市の地形

河川[編集]

深谷市の河川は、南部が荒川水系、北部が利根川水系と二つの水系となっている。

荒川水系の主な河川には荒川、吉野川、亀住川があり、利根川水系では利根川、小山川、清水川、福川、唐沢川、志戸川、藤治川などがある。
荒川水系では市南部の川本地区、花園地区に数本の河川が荒川に注いでいる。主な河川は吉野川と亀住川。吉野川は、寄居町冨田地区付近から始まる小河川で、荒川の蛇行部に自然合流している。亀住川は、市内最高峰の鐘撞堂山から発し、途中から蟹沢排水路と名称を変え、荒川に注いでいる。
利根川水系では、西部の岡部地区に志戸川、藤治川、福川が小山川に合流し、ほぼ中央部の藤沢地区、上柴地区で数本の河川が唐沢川に合流している。また、妻沼低地では、清水川が小山川に合流している。
櫛挽台地から妻沼低地へ流れる小山川は、皆野町の北部に源を発し北東に流れ、本庄市、児玉郡美里町を流れ東へ転じて、深谷市北部を流れ熊谷市間々田付近で利根川に合流する。
清水川は、本庄市滝瀬を源流とし八基下手計地内を大きく蛇行し、小山川に注いでいる。
櫛挽台地縁辺を流れる福川は、深谷市岡を起点とし、流路は小山川の南側1.5Kmに並行して、深谷市、熊谷市と東に向かって流れ、最後は行田市酒巻で利根川の右岸へ合流している。
以前は途中で唐沢川が合流し、下流域は洪水の被害に度々あったが、昭和の初期に伏越の工事を行い現在では立体交差し唐沢川は直接小山川に合流している。
志戸川は、埼玉県児玉郡美里町広木の山中より発し、幾つかの小河川を合流して志戸川となる。美里町、深谷市の田園地帯を流れ、深谷市西田付近で小山川に合流している。
藤治川は、寄居町用土の櫛挽面頂部を水源とし、山崎山丘陵を回り込み志戸川に合流ししている。 櫛挽面の標高70m付近からは、唐沢川、前の川、押切川、上唐沢川が北流している。かつては、上唐沢川は台地を下り、直接福川に合流していましたが、福川の増水を防ぐため、下唐沢川と合流させ、小山川に直結させた。
櫛挽面には、現在では枯れてしまった谷筋が見られ、台地を開析する浅い谷が幾筋も発達していたものと考えられる。また、櫛挽面と妻沼低地の境界付近には、先端湧水と認められる池等も認められる。


地図-深谷市の河川のPDF

深谷市の河川

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櫛引台地の北部には仙元山(標高98.0m)が、また市の南西端、寄居町との境には鐘撞堂山(標高330.2m)がある。

気候[編集]

気候は、夏から秋にかけて降水が多く、冬になると北よりの季節風(いわゆる赤城おろし)が強く、乾燥するという太平洋側の気候の特色とともに、内陸性気候の性格も併せもっている。このため、夏と冬の平均気温の差が大きく、さらに日中は暑く、夜間は涼しいという1日のなかでの温度差が大きいこの地域では、 雷が多く、雷雨が夏の降水量を多くする一因となっている。


交通[編集]

道路[編集]

関越自動車道、国道17号、同深谷バイパス、上武国道、国道140号、同バイパス、国道254号などがあり、広域間の基幹的役割を果たす道路として機能している。 また、地域の玄関口として関越自動車道花園インターチェンジが設置されているほか、嵐山小川、本庄児玉のインターチェンジに近接している。

道の駅[編集]

市内には3つの道の駅がある。

  1. 道の駅おかべ(国道17号深谷バイパス沿い)
  2. 道の駅はなぞの(国道140号バイパス沿い)
  3. 道の駅かわもと(国道140号バイパス沿い)

鉄道[編集]

鉄道はJR高崎線、秩父鉄道の2路線において駅を有するとともに、上越新幹線およびJR八高線が通過し、上越新幹線本庄早稲田駅にも近接していることから、東京都心方面、上信越方面、秩父方面への交通 の利便性が高い地域である。


地名[編集]

「深谷」という地名の由来についてはいくつかの説があり、現在のところ定説はない。
1) 上野台(うわのだい)などの荒川扇状地にできた台地下の谷に、太古の利根川が氾濫を繰り返してできた低湿地から「深谷」と呼ばれるようになったという説。
2) その低湿地に繁茂した萱(かや)が折り重なる「伏萱」(ふせがや)が転訛(本来の言葉がなまって変わる)し、「ふかや」となったという説。
3)  「深谷」という地名が史実的に初めて登場するのは、室町時代の康応2年(1390)、深谷上杉氏の祖上杉憲房(のりふさ)が、庁鼻和(こばなわ)城(現在の国済寺)内に、国済禅寺を創建し、奉納した鐘に以下のように書かれている。
「幡羅郡深谷庄常興山国済禅寺」
これは、中世に「深谷庄」という庄が存在した証拠である。康正2年(1456)、5代上杉憲房(のりふさ)が古河公方の侵攻に備えて「深谷城」を築城し、一躍深谷が有名になった。


歴史[編集]

先史・旧石器時代[編集]

深谷市には、古から人々が生活をしていた場所として、数多くの遺跡がある。

先史・旧石器時代の遺跡分布

荒川右岸の江南台地上には、約1万4000年前の後期旧石器時代の遺跡である白草遺跡があり、多数の細石刃や彫刻刀形石器が出土している。

縄文時代[編集]

縄文時代になると、台地上に数多くの遺跡が出現し、土器を用いて定住するようになった。縄文時代後期頃には、人々の居住地は低地へと移っていった。

縄文時代の遺跡分布

弥生時代[編集]

続く弥生時代は、妻沼低地上敷免遺跡四十坂遺跡などの有名な遺跡がある。

弥生時代の遺跡分布

古墳時代[編集]

古墳時代になると人口は増大し、妻沼低地などを中心に多くの集落が営まれた。また数多くの古墳が造られ、木の本古墳群白山古墳群小前田古墳群黒田古墳群などの群集墳も造られた。荒川右岸の鹿島古墳群は終末期の群集墳で、県指定史跡になっている。

古墳時代の遺跡分布

奈良時代[編集]

奈良時代には、深谷市の東部は幡羅郡、西部は榛沢郡、南部は男衾郡となった。市東部の幡羅遺跡幡羅郡役所跡で、市西部の熊野・中宿遺跡は榛沢郡役所跡、市南部の百済木遺跡は豪族居宅であり男衾郡の郡司クラスの居宅とみられる。埼玉県内には当時15郡あったが、郡役所跡が確認されているのは上記の2カ所だけで、古代の北武蔵のみならず地方社会を考える上で非常に重要な地域である。

平安時代・鎌倉時代[編集]

奈良・平安時代の遺跡分布

平安時代末から鎌倉時代には、畠山次郎重忠、岡部六弥太忠澄新開荒次郎実重人見四郎光行などの武蔵武士が活躍した。畠山重忠は源平合戦の立役者で、鎌倉幕府の重臣として知られている。当時の主要道である鎌倉街道上道の跡が旧川本町域から旧花園町域に残っている。

室町時代・戦国時代[編集]

鎌倉・室町時代の遺跡分布

室町時代から戦国時代にかけて、深谷の地は関東管領と古河公方の抗争や、北条・上杉・武田氏の争いに巻き込まれていった。深谷城はその渦中に、深谷上杉氏によって造られた大規模な城である。平地に造られたいわゆる平城であるが、自然の低湿地を利用した難攻不落の城であった。江戸時代の初めに廃城となるまで、200年以上にわたり深谷の中心であり続けた。

江戸時代[編集]

江戸時代には、深谷の地の多くは天領(幕府直轄領)となった。また、岡部には岡部藩があり、陣屋が構えられていた。そして、深谷は中山道の宿場町として発展した。深谷宿の町並み絵図などが残されており、当時の繁栄ぶりを知ることができる。また、中瀬は、利根川の河岸場で、物資流通の拠点として深谷宿を凌ぐ程の賑わいを見せた。江戸時代の中頃からは地場産業の窯業や養蚕などが発展し、宿場には日を定めて市が立つようになった。深谷宿や中瀬河岸を中心に江戸の文化が広まり、七夕や八坂神社の祭礼が行われ、村々では万作踊りや獅子舞が盛んになった。

明治時代[編集]

明治時代になると文明開化の波に大きな影響を受けた。なかでも鉄道の開通は大きな出来事であった。上敷免には日本煉瓦製造株式会社の工場が造られ、日本近代産業の発展に大きな貢献を果たした。この会社の設立に深く関わったのが郷土の偉人、渋沢栄一である。日本近代実業界の最高指導者と仰がれる渋沢栄一は、社会公共事業にも大きな功績を挙げ、昭和6年(1931)になくなるまで、生まれ故郷の血洗島を愛し続けた。
その後、戦争や昭和の大合併、平成の大合併などを経て現在に到る。産業は農業を始めとして商・工業などが著しい発展を見せている<ref>「深谷市の歴史」(深谷市教育委員会ホームページ)</ref>。
[年表]

人口[編集]

平成12年(2000年)の国勢調査によると、深谷市の人口は146,562人であり、平成7年(1995年)に比べて3,446人、割合にして2.4%の増加となっている。
年齢別人口では、昭和60年(1985年)から平成12年(2000年)までに、年少人口割合は23.5%から15.4%に減少し、老年人口割合は10.0%から15.5%に増加しており、少子高齢化が進んでいる。
世帯数は、46,525世帯で平成7年(1995年)に比べて、3,576世帯、割合にして8.3%の増加となっている。

深谷市の広報・情報発信[編集]

広報誌[編集]

毎月、『広報ふかや』が発行されている。以下のサイトで過去のPDFをダウンロードできる。

深谷市のホームページ[編集]

深谷市のブログ[編集]

ツイッタ-[編集]

ツイッターを利用して深谷市に関する情報を発信している。公式アカウントは"@Fukaya_City"。

Channelフカヤ[編集]

市政情報、祭り・イベント、歴史・文化、施設など深谷の魅力を動画(YouTube)で紹介している。

メール配信サービス[編集]

深谷市からのお知らせ、災害・防災情報、火災情報、迷い人情報など、防災行政無線で放送している内容などを配信している。

「ガーデンシティーふかや」のホームページ[編集]

深谷市の特産物である「花」を活かし、ガーデニングで美しい街をつくり、住み良い街づくりにつながるさまざまな取り組みを紹介している。

ふかやデジタルミュージアム[編集]

「美術館」(深谷市収蔵の美術品などの展示)、「文学館」(芭蕉句碑、文学句碑、小説、童謡)、「人物館」(深谷市にゆかりの深い人物)を紹介している。

文化財[編集]

国指定の重要文化財[編集]

重要文化財とは、文化財保護法の規定により、建造物、絵画等の有形の文化的所産で我が国にとって歴史上又は芸術上価値の高いもの及び考古資料等の学術上価値の高い歴史資料(有形文化財)のうち重要なものを文部科学大臣が指定したものである。 深谷市内には、現在、3件の重要文化財がある。

  1. ホフマン輪窯6号窯
  2. 旧事務所(日本煉瓦史料館)
  3. 旧変電室
  4. 備前渠鉄橋

国指定の登録有形文化財(建造物)[編集]

登録有形文化財とは、文化財保護法の規定により、文部科学大臣が、重要文化財以外の有形文化財で、その文化財としての価値にかんがみ保存及び活用のための措置が特に必要とされるものとして登録したものである。深谷市内には、現在、13件の国指定登録有形文化財がある。

  • 埼玉県立深谷商業高等学校記念館
  • 旧東京第二陸軍造兵廠深谷製造所給水塔
  • 大谷邸
  • 滝岡橋
  • 日本基督教団島村教会島村めぐみ保育園別館

埼玉県指定の有形文化財[編集]

  • 清風亭
  • 北斎筆徐福図
  • 持田家文書
  • 長谷部家文書
  • 四十塚古墳出土鉄製短甲及び出土品

埼玉県指定の無形民俗文化財[編集]

埼玉県指定の史跡[編集]

  • 岡部六弥太墓
  • 畠山重忠墓
  • 人見館跡
  • 旧北根代官所
  • 桜ヶ丘組石遺跡
  • 鹿島古墳群
  • 中宿古代倉庫群跡

埼玉県指定の旧跡[編集]

  • 深谷城跡
  • 榛沢六郎成清の供養塔
  • 上杉憲英墓
  • 岡部藩陣屋跡
  • 渋沢栄一生地

埼玉県選定重要遺跡[編集]

  • 庁鼻和城跡
  • 寅稲荷塚古墳
  • 畠山館跡
  • 本田城跡
  • 上敷免遺跡
  • 木の本古墳群
  • 西谷遺跡
  • 四十坂遺跡
  • 狢山祭祀遺跡
  • 橋屋遺跡
  • 黒田古墳群

脚注[編集]

<references />


外部リンク[編集]