生品神社

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生品(いくしな)神社は、深谷市高島の神社。

所在地
埼玉県深谷市高島209

由緒と沿革

 当社は元、高島村久賀之郷に鎮座し、上野国新田郡 生品明神七社の一つだという。
 後醍醐天皇のころ、新田義貞が挙兵にあたり、生品明神に戦捷を祈願したという。
 高島村はもと久賀村といったが、義貞が生品社前で旗揚げした時、多数の義兵の旗が天を霞めて飜った。義貞はこれを見あげて「中空高縞(たかしま)の如し」と喜んだという。これが高島村の名の起源だという。
 宝暦年間(1751~64)の利根川の洪水のとき、社殿が流失し、今の地に遷座した。

祭神
素盞嗚命(すさのをのみこと)  相殿 倉稲魂命(うかのみたまのみこと) 建御名方命
摂社 諏訪神社 (字 諏訪之木)
境内に榧(かや)の神木があり、周囲三丈三尺余、樹齢三百年以上という(昭和5年時)。

石塚村住殿に義貞公が陣を構えたころ、高島村小名「小角の渡し」を越えようとしたとき、川原に砂埃の立つの見て、一同、敵兵かと驚いた。実は、利根川を越えて諏訪神社の榧の木をめざして来た援兵で、越後の宗族 大江田経隆の五千騎の兵だった。義貞公は驚き喜んで「諸士来る、何ぞ速かなる、何を以て吾が義を挙るを知るや」と問うと、経隆が鞍に伏して「今日羽黒俊賢来りて国中に徇(したが)ふ、是を以て馳せ至る、甲斐信濃の諸源氏 明日兵二万を率いてまさに至るべし」と答えた。俊賢は、経隆の弟で、走りに長けた侍だった。このように援軍の到着が速いのは、諏訪大神の霊験によるものと、義貞らはかはるがはる社前に額づいたという。
当地(諏訪之木)では、黍は神の走る妨げをするので作らない。松は目を突くといって植えない。

社殿と工作物

祭礼

1月10日
元旦祭
2月17日
祈年祭
2月24日
(末社)八坂神社,八坂祭 (神輿渡御)
3月10日
風祭
4月10日
例大祭
7月26日
(末社)大杉社,大杉祭
11月15日
秋祭
11月24日
新嘗祭
12月28日
大祓

主な境内神社

八坂神社
(祭神)素盞嗚命
大杉社
(祭神)大物主命