竹とんぼおじさん

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竹とんぼおじさんとは、ブーメラン竹とんぼを考案した中嶋義明のことで、アド街ック天国(テレビ東京 2011年2月5日)で深谷が紹介されたときの呼称である。地元では「ブーメラン竹とんぼの達人」と呼ばれている。

「ブーメラン竹とんぼ」被災地へ[編集]

東日本大震災の発生後は、中嶋は「ブーメラン竹とんぼ協会」の仲間とともに「幸せの黄色い竹とんぼプロジェクト」を企画。「ブーメラン竹とんぼ」を、東日本大震災の被災地の子どもたちに贈る活動をしている。2011年は約5000本のも竹とんぼをプレゼントし、作り方や飛ばし方を教えた。

この活動について、「竹とんぼおじさん」は次のように書いている。

「飛んだ飛んだ!」 まだ津波の爪痕の残る校庭で、大きな歓声が響く。小さな手から次々に竹とんぼが、空に舞い上がる。被災地の子供たちが、東北の広い青空を見上げる瞬間だった。(2011年7月15日石巻市立開北小学校)
2011年7月から 福島県西郷村にある那須甲子青年の家から依頼を受けた。震災の影響で なかなか屋外で遊べない子供たちのためにリフレッシュキャンプをするという。「キャンプの最後のイベントで、ブーメラン竹とんぼ講習会をしたい。材料代は、出せますから。」と。
しかし、参加人数を聞いてびっくりしてしまった。2000人分。今までに作った竹とんぼ総計でも、4000本ぐらいしかない。それなのに1ヶ月の間に 2000作れるだろうか?「これは、やるしかない。」と 仲間を集めた。下準備は、社員の手計くん、同級生の永野君、赤沼さん、田島君、輸送や飛ばし方を教える上芝郵便局の局長木元さんらの協力があり、なんとか切り抜けることができた。会社にあるディスクサンダー(電動工具)で荒削りを短時間でできるようになった。そして 夜なべで家にも帰らず作り続けた。竹とんぼを作るのは大変だったが、子どもたちが楽しそうにしている姿が本当にうれしかった。
宮城県石巻市や岩手県宮古市 山田町 田野畑村なども訪問し、黄色く塗装した手作りの竹とんぼ約3000本を被災者の子どもたちに贈り、飛ばして遊んだ。
2012年5月26日には、熊谷市内の剣道大会にやって来た福島県白河市と須賀川市の小中学生50人にも贈呈した。今後も被災地への訪問などを計画中で これからも被災地の子どもたちとの交流を楽しみにしている<ref>『青淵』</ref>。

「ブーメラン竹とんぼ」と映画[編集]

「ブーメラン竹とんぼ」は、映画の街深谷とも縁がある。そのことについて中嶋はこう書いている。

竹とんぼが縁で、建設業の仕事では、絶対にあえないであろう多くの出会いがあった。駅前のギャラリーで、「こだわりの竹とんぼ展」を開催していると ある映画関係者と会い、松岡錠司監督の作品「歓喜の歌」に弊社の社屋が使われるようになった。我が社員たちも エキストラとして参加して多くの役者さんスタッフと友達になれた。すると、こんどは、地元深谷出身の入江悠監督の「サイタマノラッパー」に参加し、美術スタッフにもなってゆく。多くの映画ドラマで、大道具の仕事もさせてもらうようになってきた。 撮影現場には、必ず 私の竹とんぼをもってゆき「深谷名物ブーメラン竹とんぼ」をプレゼントする。撮影の合間 待ち時間には、みんなで飛ばして遊ぶ。 映画関係者との再会も増えてきた。 「ああ、あの時の 竹とんぼおじさん。」と、覚えてくれている。
私にとっては、この竹とんぼは、人と人をつなぐ 夢の道具なのです。
きっと これからも 竹とんぼを作り続けるだろう。「竹とんぼおじいさん」と 呼ばれながら<ref>『青淵』</ref>。

中嶋義明 略歴[編集]

  • 昭和34年8月5日生まれ
  • 深谷市立桜ヶ丘小学校
  • 深谷市立深谷中学校
  • 群馬英数学館
  • 埼玉県立熊谷高等学校武蔵野美術大学 造形学部建築学科
  • 株式会社中島建設 入社(昭和59年)

関連項目[編集]

出典[編集]

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