菊図坊祖英

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菊図坊祖英(きくとぼうそえい)は、江戸時代の中頃の俳人で、諸国行脚の途中、深谷宿の人達に俳句を教えた。
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東源寺の門前に菊図坊祖英(きくとぼうそえい)塚がある。
本住町の境という人が伊香保で菊図坊祖英と親しくなって別れた。祖英は諸国行脚の途中、境家を訪ねたがみすぼらしい服装をしていたため家人から相手にされなかった。祖英は「苦しくとも味をうてみよフキノトウ」と俳句を残して去った。 主人が帰宅し俳句をみて、祖英だと気付く。
祖英は脇本陣杉田氏宅に、4~5年滞在し、深谷宿近隣の俳人を指導した。 ここからが伝説、祖英がこれから出掛けると言うので、周りの人が餞別を包んだ、そのお金でお菓子を買って近所の子供に配った、その後北の方、利根川に行って、たもとに石を­入れ水の中に入って亡くなった、と云う伝説がある。 辞世の句は「死ぬ事を知って死ぬ日やとしのくれ」利根川に入ったかどうかわ判らないが、祖英はその辞世の句を残して深谷で亡くなった。 享年54歳。

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