青木七郎

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青木七郎(1864-1929)は、幕末から明治期の剣術家である。<ref>『深谷剣道連盟 創立60周年記念誌』p14)</ref>

生涯

元治元年(1864)、武州郡榛沢郡後榛沢村(現、深谷市後榛沢)の青木七五郎に長男として生まれる。
明治維新後制定された小学校の普通教育課程を卒業後、上京して漢学塾に学ぶ。帰京後、父七五郎に剣道の手ほどきをを受け、次いで隣の五十子村(現、本庄市五十子)の剣士高橋三五郎について甲源一刀流を学ぶ。次いで、両神村で道場を営む甲源一刀流の23代目逸見愛作英敦について剣道を学ぶ。3年後の21歳の時「逸見道場師範」となる。
その後上京し、上田右馬之助、逸見宗助、高見佐三郎に師事し、剣道の奥義を究める。
その後、自宅前に道場「壮武館」を開設し、近隣近在の青年の剣道教育に先進する。その指導は北武蔵一帯の若者たちの異常なほどの共感を呼び、明治30年代の中頃には入門者は1000人を超えたといわれている。入門者名簿に、大里・児玉郡をはじめ、北埼玉郡、群馬、栃木、茨城各県からの名が記されているという。のちに壮武館は高野佐三郎の主宰する「明信じ館」支部と改称された。

出典

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