「血洗島」の版間の差分

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'''血洗島'''(ちあらいじま)の地名の由来については定説はなく、以下の諸説がある<ref>『深谷の地名』(柴崎伊勢三・安部利平著、深谷郷土文化保存会、平成7年)</ref>。
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'''血洗島'''(ちあらいじま)は、[[渋沢栄一]]の生家があるところとして有名である。
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== 位置 ==
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[http://goo.gl/maps/x3I2H 深谷市血洗島]
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== 地名の由来 ==
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地名の由来については定説はなく、以下の諸説がある<ref>『深谷の地名』(柴崎伊勢三・安部利平著、深谷郷土文化保存会、平成7年)</ref>。
 
# 血洗島の生まれである[[渋沢栄一]]が『龍門雑誌』に以下のような言い伝えを書いている。それによれば「恐ろしげなるこの村名のかげには幾多の伝説や口碑とが伝わっている。しかしそれは赤城の山霊が他の山霊と戦って片腕をひしがれ、その傷口をこの地で洗ったという」。
 
# 血洗島の生まれである[[渋沢栄一]]が『龍門雑誌』に以下のような言い伝えを書いている。それによれば「恐ろしげなるこの村名のかげには幾多の伝説や口碑とが伝わっている。しかしそれは赤城の山霊が他の山霊と戦って片腕をひしがれ、その傷口をこの地で洗ったという」。
 
# 八幡太郎義家の家臣が、戦いで切り落とされた片腕を洗ったところからその名がついた。
 
# 八幡太郎義家の家臣が、戦いで切り落とされた片腕を洗ったところからその名がついた。
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# その地が利根川の洪水による氾濫原であることから、もとは「地洗」(ちあらい)、「地荒」(ちあら)だったのが、「地」の字がいつの間にか「血」となった。
 
# その地が利根川の洪水による氾濫原であることから、もとは「地洗」(ちあらい)、「地荒」(ちあら)だったのが、「地」の字がいつの間にか「血」となった。
  
 
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== 歴史 ==
江戸期は岡部藩安部摂津守の知行地。明治23年に八基(やつもと)村に、昭和29年に豊里村に、昭和48年に深谷市と合併した。
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江戸期は岡部藩安部摂津守の知行地。<br />
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明治23年に八基(やつもと)村になる。<br />
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昭和29年に豊里村になる。<br />
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昭和48年に深谷市と合併した。
  
  

2012年9月27日 (木) 21:03時点における版

血洗島(ちあらいじま)は、渋沢栄一の生家があるところとして有名である。

位置

深谷市血洗島

地名の由来

地名の由来については定説はなく、以下の諸説がある<ref>『深谷の地名』(柴崎伊勢三・安部利平著、深谷郷土文化保存会、平成7年)</ref>。

  1. 血洗島の生まれである渋沢栄一が『龍門雑誌』に以下のような言い伝えを書いている。それによれば「恐ろしげなるこの村名のかげには幾多の伝説や口碑とが伝わっている。しかしそれは赤城の山霊が他の山霊と戦って片腕をひしがれ、その傷口をこの地で洗ったという」。
  2. 八幡太郎義家の家臣が、戦いで切り落とされた片腕を洗ったところからその名がついた。
  3. 「血洗」(けっせん)は当て字で、アイヌ語の「ケシ、ケセン、ケッセン」(岸、末端、しものはずれ、尻などの意)など、東北・北海道に気仙(ケセン)沼・厚岸(あつケシ)などと共通する同意語ではないか。
  4. その地が利根川の洪水による氾濫原であることから、もとは「地洗」(ちあらい)、「地荒」(ちあら)だったのが、「地」の字がいつの間にか「血」となった。

歴史

江戸期は岡部藩安部摂津守の知行地。
明治23年に八基(やつもと)村になる。
昭和29年に豊里村になる。
昭和48年に深谷市と合併した。


脚注

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